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千鳥城

Matuezyou2 松江城は、千鳥が羽根を広げたように見える千鳥破風の屋根が見事なことから、別名「千鳥城」とも呼ばれます。現存する12の天守のうちでは姫路城に次ぐ2番目の規模を誇っています。

松江城は、明治になって入札にかけられ、天守閣は180円(米100俵)で落札しました。入札価格の目やすは、釘・かすがいの古鉄値段でした。
同じ頃、姫路城は、23円50銭だったそうです。

松江城の消え去ることを惜しんだ旧藩士高城権八、坂田村(斐川町)の豪農勝部本右衛門らは八方奔走し、遂に落札と同額の献納金を国に納め、解体をくいとめたそうです。当時の文明開化の嵐は、チョンマゲや刀とともに、城にも及んでいたのです。

Matuezyou3 松江城は、現存する12の天守のうち、姫路城に次ぐ2番目の平面規模を誇っています。また、木彫り青銅張りの鯱は、日本現存の木造のものでは最大で、高さ2.08mあります。(現在は、天守閣の中に展示してあります)

松江城を築城した堀尾吉晴は、加藤清正と並んで城普請上手といわれた武将でしたが、完成目前に没しています。世継の堀尾忠は、27歳で先に没していますが、神魂神社の奥にある立ち入りしてはならぬ池へ入ったため神罰がたたったといわれています。(実際は、神官が池に近寄らないよう止めるのを振り切ってマムシにかまれたためとか)

結局、堀尾家は3代で、次の城主京極家も1代で終わり、松平直政の入城となります。
松江城には、全国でも珍しい祈祷櫓がありましたが、これは築城の際、石垣が突然崩れ落ち、修復してもまた基礎から崩れてしまうので、崩壊個所を掘り下げるとさびた槍の刺さった頭蓋骨が出て来たそうです。そのため神主を呼んで毎月供養することにしたからだそうです。

直政公が入城すると、毎夜のように最上階の「天狗の間」に若い女の亡霊が出て困らせたので、問いただすと「私はこの城の主です」と答え、「このしろ」への執着を見せる事から、宍道湖で獲れる「コノシロ」を供えた所、出なくなったと言います。

この若い女は、盆踊りの輪の中からいきなりさらわれて、崩壊した石垣のところに『人柱』として埋められていたのです。松江城の完成後、娘の盆踊りは中止されていたのですが、娘が踊ると松江城全体が大きく揺れるからだったそうです。

その後、松平家は明治まで続き、他のお城が解体される中、なぜか奇跡的に生き残ったのです。松江城にある、祈祷櫓跡、ギリギリ坂、ギリギリ井戸跡などがこれらの話を今に伝えています。(ギリギリとは方言で、頭のツムジのことです)

「釜一つもてば茶の湯はなるものを よろずの道具好むはかなさ」
と詠んだのは利休ですが、不味公(第七台藩主)も初めは利休の侘び茶を慕っていましたが、晩年には道具茶にはしり、ひとつ数千両という茶器さえ集めていました。

不昧公が残した風流は、松江の人々に息づいており、松江のお茶の消費量は全国平均の5倍、一世帯あたりの和菓子の消費量は全国平均の1.5倍だそうです。

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