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お加代

大政奉還の翌慶応4年(1868)、親幕府的だったとして松江藩(親藩であり幕府と朝廷の狭間で苦悩していた)を糾弾するため、官軍は西園寺公望(17歳)を総督とする、山陰道鎮撫使一行を派遣しました。

松江藩は丁度この時期不運が重なり、これを口実に鎮撫使側は、
(1)雲州半分を朝廷に返上
(2)重役が切腹して謝罪
(3)世子(跡継ぎ)を人質に出す
(4)国境線で勅使一行と決戦する
のどれか一つを選べと松江藩に要求します。

松江城下に入ってきた一行を、重役たちが土下座して迎え、勝ち誇った一行は、傍若無人の振舞をします。松江藩は、一行を歓待するため近辺の芸妓を集め酒席を設けて接待に努めます。

松江藩をあげての酒宴が連日連夜続き、藩のへりくだった接待ぶりは傍から見ても歯がゆいほどで、それを伝える逸話があります。

酒に酔った薩摩武士が、刀の先に刺したカマボコを食う奴はいないかと難題をふっかけたのです。その時、ただひとり平然と口で引き抜き、みごとに食べたのが芸妓「玄丹お加代」です。

この肝の太さに一行は感心してほめたたえ、松江藩の危機が救われたというお話です。
お加代の本名は、錦織加代、松江のジャンヌ・ダルクと言われているそうです。

お加代は大正7年(1918)77歳の生涯を終えました。
宍道湖湖畔白潟公園には、お加代の記念碑があります。

その後、松江の出雲そばは、玄丹そばと名付けられ、そば焼酎にもお加代の名がつけられています。

     
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